ブックメニュー★「本」日の献立

今日はどんな本をいただきましょうか?

【人類の悲しみと対峙する ダークツーリズム入門ガイド】いろは出版

f:id:kiuel:20210902203645j:plain

今はコロナの影響で旅をすることもままなりませんが、せめて本の中だけでも、と思います。しかも人があまり行きたがらないところに。

でも最近注目を集めていると思われるのが「ダークツーリズム」。当ブログでも以前日本のダークツーリズムを扱った本を取り上げました。

【ダークツーリズム入門ガイド】は世界の有名なところからマイナーなところまで、「ダーク」な要因も自然災害や経済的な理由でゴーストタウンと化した街など、さまざまな場所が取り上げられています。

そして「ツーリズムガイド」らしく、モデルプランや交通費、ベストシーズン、その他の見どころやグルメなども載っています。

ブログでは特に、戦争関連と人間の愚かさで出現した場所を取り上げます。また、現代日本につながるダークサイドも。

本書の”はじめに”にこう書かれています。その場所に立った時に「湧き上がる感情と対峙する」「その感情が、あなたにとってのダークツーリズムの意味そのもの」

36ヵ所紹介されていますが、6つ取り上げます。

アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所ポーランド

「ダークツーリズムを語るうえで外せない場所」と本書にもあるように、これほどまでに人間は残酷になれるのか、をしめす「死の工場」。

カラーの写真が載っていて、建物へまっすぐ延びる数本の線路が写っていますが、これはなんだろうと思っていると本文にはこうありました。

収容される人が「貨車に詰め込まれ」その光景が「毎日」続いたのです。

収容人数の正確なデータはないそうです。「収容直後に殺された人があまりにも多いから」。即、ガス室か、使えなくなるまで働かされるか。

生き延びた人の記録なども残っていますが、殺されても生き延びても地獄です。

博物館となっている収容所に入れば、戦争や人間の愚かさを目の前に突き付けられるでしょう。その時、湧き上がる感情をどう受け止めるべきか?

〈キリング・フィールド〉カンボジア

むかし同名の映画が公開されました。私は子供だったので見たことはありませんが、なぜかタイトルだけは鮮明に覚えていました。不思議な言葉の”響き”がそうさせたのでしょう。

なぜ虐殺が起こってしまったのか?本書の説明文を読んでも、にわかには理解できません。

わかっているのは「人々を農村部へ強制移住させ、農作業を強いた」ことと多くの知識人が「再教育」の名のもとに虐殺されたこと。

粛清がエスカレートすると「農作業をしていないと判断された手の綺麗な者、知識人に見えるという理由で眼鏡を掛けている者」などに拡大していきました。そんなことで……。ここまでくると”狂気”としか言いようがありません。政治的な信条なんてありません。

クメール・ルージュ(カンボジア共産党)を率いたポル・ポトは、知識人を憎悪していたのは間違いありませんが、それは彼の生い立ちに答えがあるんでしょうか?このあたり、ヒトラーと似ている気がします。

驚愕なのが、虐殺を行った(行わされた)多くの者が「14歳未満の子どもたち」だったこと!

「他の思想に染まっていない」のが理由だったそうですが、これは、たとえ国が復興したとしても、”恐怖が続く”ことを意味します。

無垢の心に殺人を経験させられた人間が、その後どういう人生、国づくりをするというのでしょう?この事をポル・ポトが計算に入れていたと想像するのは穿ち過ぎでしょうか。

この凄惨な出来事の後、残念ながら世界のあちこちで「キリング・フィールド」が生まれてしまっています。

本書にも紹介されているアフリカのルワンダにある〈ムランビ虐殺記念館〉もその1つです。この記念館になっている出来事は1994年に起こりましたが、それに至る要因は19世紀の植民地時代から続いています。その前は平和な国だったのに。

ムランビのことを調べて見ると、”なぜ人は、そこまで残酷になれるのか?”が少しは理解できるかもしれません。

そしてメディアの”煽動”が大きなきっかけだったとしています。これは現代につながる、大きな問題でもあります。

チェルノブイリ原子力発電所ウクライナ

福島原発を抱える日本人にとって、もはや他人事ではなくなってしまった出来事です(本書の最後36番目に福島原発が紹介されています)。

1986年、まだ冷戦時代が続いていました。ソ連アメリカはあらゆる分野でしのぎを削っていて、原発ももちろんそうでした(原爆開発からの流れがあります)。

”焦り”があったんでしょうか……。4月26日、電源喪失に備えた実験が行われていましたが、出力の温度が安定せず急上昇して、4号炉が水蒸気爆発を起こしました。

「設計上の問題や突貫工事などの複合的な問題により発生したと考えられる。」

最初に突入した消防士や職員らは放射線障害によって絶命しました。

3か月後に本格的な事故処理が開始。一般の労働者のべ80万人が投入され、86.9%が何らかの健康障害を発症しているというデータもあります。 

半径30㎞圏内に住んでいた40万人が移住を余儀なくされました。その多くが原発で働く職員とその家族だったようです。

でも何年か前のテレビのドキュメンタリーで、ごく少数の高齢者が”生まれ育った村”に住み続けているのを見ました。生活ぶりは見る限り普通でした。

つい、放射能の影響は?と思ってしまいますが、彼らにとって”ここに住む”ことの方が重要なんです。どこでいかに生きていくか。

これは基本的人権の問題ですよ。福島の問題としてもいまだ、いやなかなか解決できないことの1つです。

そもそも立ち入り禁止区域なので普通に行くことはできませんが、”地図に載らなかった街”プリピャチの廃墟からは人が住むこととは?など、何か感じとることができそうです。

バンザイクリフアメリ

平成の天皇皇后両陛下が慰霊に訪れて脚光を浴びた悲劇の断崖。

天皇陛下、万歳」と叫びながら海へ飛び込んだ事実をおふたりはどう感じられたでしょう?

高さ80m、サイパン島の北端の岬、従来マッピ岬(現地語ではブンタンサバネタ)という名がありましたが、いつの頃からかバンザイクリフと呼ばれています。

追い詰められた日本人の、凄惨な自決の光景がそう名付けさせているのです。

サイパンの戦闘で、日本の敗北が決定的になりました。

この戦闘で非軍人が約1万人亡くなったといいます。しかし一方で”国の教え”に反し、捕虜となり生き延びた人も1万人いたと言われています。はっきり言って意外でした。

これもメディアの情報の伝え方が原因でしょう。”玉砕”のイメージが強すぎるんです。他の書籍でサイパンの戦闘ではありませんが、”死んだふり”を2日間していてついに見つかり、アメリカ軍人にタバコをもらう日本兵の写真を見たことがあります。

私はそれを”ずるい”とは決して言えません。現代人の感覚では”生き延びてほしい”と願うことが当然と考えています。しかし戦争の時代を生きてきた人は、そうではないかもしれません。

大海原を臨むこの場所もそうですが、美しい海と空と、鋭く切り立った断崖。そこで紛れもない悲劇があったことのギャップが、想像力を刺激し、悲しみを深くします。

ギャップが、単なる旅とは違うダークツーリズムの特徴の1つです。

原爆ドーム〉日本

日本の中でのダークツーリズムでここを外すことはできませんね。

一般市民に犠牲を強いる近代戦の象徴的な戦争遺跡です。それがより一層悲しみを強くさせます。

また「原爆ドーム」は新たな問題を抱えていました。

街中にある遺跡を”残すか、取り壊すか”、60年代に議論されました。1966年に市は永久保存を決定しますが、本書で取り上げられている場所は多くが街から離れていたり、目につかないところだったりします。

嫌でも目にする場所に、忌まわしい記憶を保存する……。”負の遺産”を残そうと決意することは私たちが想像するより並大抵なことではありません。

これは他のダークツーリズムにも言えることですが。

〈ヌヌマチガマ〉日本

太平洋戦争の沖縄戦では、ひめゆり学徒隊などが有名ですが、学徒は8つ存在していてその中に白梅学徒隊もありました。

沖縄で「ガマ」とは洞窟を意味します。「ヌヌマチガマ」は新城(あらぐすく)分院と呼ばれた野戦病院の跡です。

病院といっても、洞窟です。湿気も多く不衛生。そこに白梅学徒隊の一部が動員されました。

次々と運び込まれる負傷兵の手当てにあたりましたが”下働き”だったようで、水汲みや手術で切断された負傷兵の手足を捨てに行ったり、手の施しようのない兵士に、自決を促す青酸カリを渡したり……。

とても10代の乙女のする事じゃありません。嫌な仕事を押しつけられたのです。

今は畑の中に洞窟への入り口があります。薄暗いなかを覗けばその暗さで一層、悪夢の情景が思い浮かんでくるでしょう。

 

”おわりに”ではダークツーリズムを造り出した当事者たちが「彼らの価値観の中で最善の選択をしていたのだという事実」を我々に突きつけてくると書かれています。

「最善」に疑問を持つこと、そしてもう二度と繰り返さないと祈ることが、ダークツーリズムを実践する最大の意義なのです。