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今日はどんな本をいただきましょうか?

【AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争】庭田杏珠 渡邉英徳

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AIはどこまでできるのか?人の想像を超えて。

はじめはレトロな彩色絵はがきみたいなものを想像していました。カバーに採用されている写真を見たときもそう思っていました。その反面「AI」という文字に、漠然とした期待を持ったのも事実です。

タイトルに戦争とあるのでただのレトロではなく、忌まわしい”あの時代”がカラーでよみがえるのです。

著者のおふたりは「記憶の解凍プロジェクト」の活動をもとに、貴重なモノクロ写真をAIでカラー化し、メディアに配信して啓蒙活動をされています。

渡邉氏が言うように、白黒写真はどこか他人事、過去のことなんだと、どうしても距離を感じてしまします。

それがカラーになって一気にリアルに迫ってきます。

細かいことを言うと、リアルさはただ色が付いただけではなく、光と影の”出来具合”で大きく左右されることが分かりました。

写真技術やその時の機材の良さもありますが(アメリカ軍の撮影したものはさすがにリアルさが際立っています)、例えば真珠湾攻撃の際、グァムで避難する人を写したものは、南国特有の日差しが良く表現されています。

イメージで彩色はすべてAIが施したのだと思っていましたが、人の記憶と想いとのコラボレーションで実現されました。

AIはすべてをカラー化できません。意外でしたが、空や海などの自然物は得意なんだそうです。人工物が苦手なのはちょっとおもしろいです。人工は”法則”から外れやすいからでしょうか。

アイキャッチ画像の写真も本書に載っています(この写真は著作権フリーのサイトからダウンロードしました)。1944年に写された泥だらけの道を行軍する日系アメリカ人歩兵。歩兵の服の色や泥道のリアルさには驚きました。確かに、他の写真でも証明されましたが、AIはかなり正確に再現できるようです。

でも「自動色付け」はあくまで「下色付け」で、そのあとさまざまな資料や証言者、研究者などの協力で「手作業」で色を補正していきました。なので「色彩は「実際の」色彩とは異な」る。あくまで「再現」「現時点での成果物にすぎ」ないと渡邉氏は言っています。

現代的だなーと思ったのが、SNSに写真を公開して指摘を受けたこと。

そしてここが重要なんですが、写真について議論が沸き起こったのです。戦争について、平和について……。カラー化の目的の一つがここにあります。「平和」について、語り継ぐこと。

もう1つの素晴らしい”効用”は、まさに「記憶の解凍」です。当事者が忘れていた記憶が、カラー化された写真によって鮮やかによみがえる場面を庭田さんが報告してくれています。

戦争によって潰された、楽しかった日常が例えば認知症を患っている体験者から湧き上がってくる……。その人にとって、こんなに幸せなことがあるでしょうか。

 

戦前の写真で日本人は子供も含めて、立ち姿がきれいというか、猫背の人はあまり見られないなと感じます。表情も明るくて自然。

沖縄の写真とか、”観光地”っぽくない東南アジアに近い風俗が見られます。日差しの照り返し、人力車のお兄さんの笑顔……。それらが戦争が近づくにつれて変わっていくんですね……。

1936年5月の写真は、戦争を感じさせる最初のもので衝撃です。

日中戦争に向けて(略)防毒マスクを着用し、訓練する浅草寺の僧侶たち。」スタイルはお坊さんだけど、首から上は鉄かぶとに顔全面を覆うマスクで、僧侶という戦争から遠い存在とも相まって、不気味さがきわだちます。

翌年の大阪の写真では、子どもたちが”汚毒マスク”をかぶり、元気に走り出していますが、こちらは同じマスクでもヒーローの仮面のように見えます。空の青さが明るくて、まだ”平和“さが感じられます。

1940年。1人の女性が立札を見つめています。そこには「パーマネント禁止」。「当町通行をご遠慮ください」その下にはいかにも変なヘヤースタイルの女性の絵。見つめる人はどう思ったのでしょう?

1941年12月6日。真珠湾攻撃に向かおうとする攻撃機の搭乗員たちの表情は、なんの力みもなく、どこかリラックスすら感じます。”写真に残る”意識もあったかもしれませんが、とても自然に見えるんです。

1942年。子どもたちが芝生の上で合奏をしていますが、表情は楽しそうではなく、真剣そのもの。きっと軍歌か戦意高揚の曲を弾いているんでしょう。

1943年7月神戸市。「動く婦人標準服展示会」多数の婦人が列をなして行きます。「動く」とは歩いていることで「標準服」はワンピースみたいです。まだこの時代はモンペではなかったみたいです。

1944年11月。特攻「石腸隊」の銚子飛行場からの離陸前の5人の少尉。真珠湾攻撃の時も感じましたが、これから攻撃(しかも特攻)に飛び立つ緊張感は感じられません。まるで訓練みたいです。

特に右端に写る吉武登志夫少尉は、満面の笑み。みな命がけで何かを信じていたのでしょうか。

1945年3月10日の東京大空襲後の街並みは、原爆投下で廃墟となった街と同じです。”B-29”300機の数時間か、3機の数秒かの違いだけと改めて知りました。

それにしてもこの年は空襲の写真が多いです。その激しさを物語ります。そして「カラーなのか?」と思うくらい、色彩がないんです。あっても単色。戦争は”色をなくさせる”んです。

空襲の後の焼け野原で、五右衛門風呂に入る人の写真が2枚ありました。1枚は笑顔のおじさん。日本人にとって風呂がいかにリラックスできるものなのかを示しています。それにしても強い!

同年4月。戦時下での沖縄で捕虜の日本兵と、従軍看護師との結婚式の写真。

なぜこのタイミングなのか。もともといいなずけで、捕虜となった兵士がこの先自分がどうなるのか分からないから式だけでも挙げよう、となったのか?想像だけが先走ります。

気になるのが、背後に写る多数のアメリカ兵。捕虜だから見張っているのか(それにしては人数が多いですが)、”祝福”しているのか?

一番最初と最後に掲載されている写真は、カラー化前と後の同じものですが、原爆投下後の広島の街と見つめるカップルが写っています。

これを復興に向かう”希望”の象徴と著者を含め多くの人が感じているようです。上の沖縄のものもそのカテゴリーに入ります。当時の若い人たちに思いを寄せて、現在の若い人たちがカラー化した写真から”リアル”を受け取ってほしいです。

渡邉氏は「過去の色彩の記憶をたどる旅」は「永遠に終わらない旅」といいます。

AIの技術面だけでなく、戦争を語り継ぐという意味でも、と思います。