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今日はどんな本をいただきましょうか?

【お坊さんにまなぶ こころが調う食の作法】星覚

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道元禅師が説いた食の作法について、もう少し知りたいと思い、【こころが調う食の作法】を読みました。

後半は、禅の精神が修行をする人、そして人間にどのような作用があるかが解説されているので、食だけじゃないんですが、その中でも食に関する事柄を抜き出してみたいと思います。やっぱり、奥が深い……。

 星覚さんは出版当時はベルリン在住ということで、かの地で禅の食をどのように実践していたかをもう少し記してくれたら、その人柄もよく理解できたかと思います。

星覚さんも永平寺で修行された雲水です。雲水って字のごとく、雲や水の流れる如く、各地で修行する僧のこと。1か所にとどまって、じゃないんですね。

なので星覚さんはどういう経緯か分かりませんが、ベルリンにいるんです。

その永平寺修行時代にもとづく食の作法が、イラスト入りで細かく書かれています。ほんとに細かく(それでもだいぶ分かりやすくしてくれているんでしょうが)。

作法が細かいんです!慣れるまでは星覚さんもキツかったようですが、先人たちが”調えてきた”作法を「まねる」ことが学びだと教えられます。

その型に沿って修行を続けてゆくと、かえって自由を感じるといいます。そうすることでこころが楽になる。

 

料理を作るお坊さんのことを「典座」というのは【食禅】で習いましたが、単に料理を作る人ではなく「台所の総責任者」なのです。

 永平寺では定期的に”カレー汁”が献立に載るそうです。カレー?

ただのカレーではなく「人参、じゃがいも、たまねぎ、こんにゃくしいたけ」などの切れ端を集めて作られます。食材を無駄にしない。これはただもったいないだけじゃなくて、後に出てくる禅の精神に適ったことです。

精進料理ってストイックなイメージがあったんですが「美味しさを追求した料理」と星覚さんはいいます。でももちろん料理法があります。

「苦・酢・甘・辛・塩」を強調しすぎないことによって、素材そのものの持つ淡い味わい「淡味(たんみ)」が引き出されます。この淡味を非常に大事にしているんです。

精進料理を本来の仏教で解釈すると「肉を使わない料理のことではな」い、とまず言います。肉を食べている⁉

日本にとあるチベット仏教の僧侶が来て、一緒に修行をした時のことを思い出しながら教えてくれます。

チベットでは土地柄、植物性の食品が少ないので、お坊さんの中には肉しか食べていない人もいるといいます。「肉を食べながら仏道修行をする人もいれば、野菜しか食べなくても煩悩のまっただ中にある人もいます。」

そしてこれが大事ですが、精進料理とは「慈悲の心で作る料理」。

 慈悲とはこの世界のあらゆるものが互いに依存しあって存在している事実を認めること

存在を認めるということは、そのを認めるということです。

よく”食べていくために働く”と表現されますが(仕方ない、というネガティブな感じで言われます)、「食の世界はお金ではなく、命を中心にめぐっているのです。」

食べるためにできることは、

「食べることに正面から向き合う」こと。お金を稼ぐことにすりかえてはいけません。

 食べることに向き合うとは、命と向き合うことです。これが禅の食の精神。このあたりも【食禅】と書かれていることが一緒です。

調えることは食だけじゃありません。道元禅師が書き残したなかに「只管打坐(しかんたざ)」というものがあります。ひたすら坐禅することです。

「管(くだ)」は平たくいえば腸のこと。禅(仏教)って、当時は科学的に分からなかった宇宙や人体のことまでよく”知っていた”のですね。

星覚さんは道元禅師が「食を調え、管を調え、心身を調えることは、生きるために最も効果的な方法」であることを知っていたんじゃないかと解釈します。

難しかった禅の食の作法を好きになれたのは「管を調えるという単純さのおかげ」。

坐禅などを実践して姿勢を調えたり、食のあり方を変えることで「世界が変わっていく」変えることができると強く実感したと星覚さんは結んでいます。