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今日はどんな本をいただきましょうか?

【理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!】西浦博 川端裕人

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現在、去年とは比べものにならないくらい感染者が増えています。

あきらかに緊張感が薄らいできて”慣れ”が生じています。

【新型コロナからいのちを守れ!】は今読むべき本だと感じます。とにかく大変だと、市民レベルでも感じられていた頃の話です。

この時、国民にはほとんど知られていない科学者などの専門家が、必死の対策を講じてコロナの流行を抑えようとしていたことが、川端氏のインタビューで西浦氏が語っています。本書は両人の共著の形を取っており、川端氏がコラムなどを添えて、構成を担当されています。

本書を読んでわかったのは、少なくともその時、少数の専門家の善意とか熱意で問題を乗り切っていたということ。

本当にそれでいいんでしょうか?

対策するのはもちろん、私たち国民の協力がなくてはありえません。それがないから、今のような感染者の増大につながっているんでしょう。もちろん、そんなに単純ではないでしょうが。

さまざまなことが語られていますが、一番問題だと思ったのはコミュニケーション。

関わる人が多いのでその種類も多岐にわたりますが、ここでは科学コミュニケーション、リスクコミュニケーションについて読み解いていきたいと思います。

川端氏は本書の内容をこう解説します。「科学者としてどんな苦闘があったのか」「政治・行政といかに切り結んだのか」。

2020年の1月(ダイヤモンドプリンセス号の時)から6月までの出来事と、巻末におふたりの対談が収録されていて、こちらは10月のものです。

 世間では”8割おじさん”として有名になった西浦氏。私も”何の対策もうたなければ42万人が犠牲になる”と西浦氏が発言した会見をニュースで見た記憶があります。

その”衝撃的”な検証結果に世間はどよめいたのですが、これで批判を浴びることにもなりました。それについては後ほど触れます。

西浦氏の専門分野は「感染症数理モデル」。

突発的な感染症の流行があった時に、感染性を推定したり、致命リスク(いわゆる致死率)を推定したりする 

 この耳慣れない分野は日本では西浦氏が第一人者のようです。なので「クラスター対策班」のメンバーに選ばれますが、ここは何をするのかというと「疫学調査を統括し、みずからデータを収集し、分析し、その結果得られた知見から導かれたリスク管理上の提言をする」。

西浦氏の仕事は未来のためのものなんです。「自分たちの社会の中で役立てられる時にちゃんと役立てたいという気持ちが強く」ありました。そして役立つときが来たのです。

また数理モデルはデータの正確さが大事です。これもさまざまなコミュニケーションの中で問題となっていきます。

とにかく氏は気概を持って仕事に取り組みますがそれはこの言葉に表れています。

これまで日本で感染症対策の専門家が政策の中枢に入ったことはない

しかしこれが大変なジレンマを生みます。

でもまず意外なところから困難が生じます。データが大事といいましたが、そのデータ入力できる人が足りなくなります。

以前、西浦氏になにかあったら助太刀すると言ってくれていた同僚などに声をかけますが、この中には「学位を持っていて、分析できる人たち」いわゆるプロフェッサーな人たちもいました。

もっと仕事ができる人たちなのに、と西浦氏は申し訳なさと感謝を込めて振り返ります「ボランタリーな精神がある人に支えられ進められた、というのはきちんと伝えておきたい」。

クラスター対策班は厚労省のビルの中に設置されていました。ここで西浦氏はお役所の「父権主義的(パターナリスティック)」を見せつけられることになります。

データからシュミレーション分析をしますが「それは密室で共有されて対策が決まるだけで(略)地方に通知を打つ時には、もう科学的概念の説明もなく、ただ冷たい事務連絡通知になっています。」

なんか行政の”上から目線”に疑問を感じます。これって市民への通達にも影響があるんじゃないか?

でもここで注意したいのは「厚労省側にも枷になる部分があって(略、対策は)地方が手の届く範囲で設定するべき、ということ(略)絶対に達成できないような数をいっても、厚労省には都道府県から苦情のような文句が来るだけ(略)そこで科学とは齟齬をきたす」。中央と地方の意識の格差は根深いし、科学コミュニケーションよりも卑近の現実に眼がいってしまっています。

しかし西浦氏はウラ事情が分かってなおさら「サイエンス・コミュニケーションに挑戦」する意志を強くしたようです。その挑戦とは”行政から一般市民へ意識の変革”を促すこともあったようです。

厳しいシナリオを敢えて伝えること。これが”42万人”につながるようです。

地方の行政とのやり取りで難しいのは、ところによって反応が全く違うこと。

2020年のこの頃は、まず北海道、ついで大阪で感染者の急増がありました。

大阪は経済に意識を向けつつ自粛要請をしていました。それで「流行は起こらなかったら」西浦氏を”責めて”、要請を緩めようとしていたようです。”しぶしぶ要請”ということでしょうか。

西浦氏はこれもコミュニケーションの難しさの結果としていますが。

東京はもう少し”積極的”でしたが、ある幹部の話によると「実は、東京都が感染経路不明と発表している人の中にも、リンクがある人はたくさんいる」のです。なにげにニュースでときおり聞いていた”感染経路不明”は、事情があってはっきり言わない方がいいと判断された結果もあったのです。

”事情”はどんな基準なんでしょうか。行政の情報開示に疑問が生じる出来事です。

そして西浦氏は「そこも含めたデータを渡すから、もう一回分析してくれまいか」といわれたそうです。今までのデータは正確じゃなかった。

さまざまな出来事が他にもありましたが、これらは西浦氏の「厳しいシナリオを伝えた上でコミュニケーションをしなければ」という強い意志を示したうえでの各行政の反応の違いが表れているのですが「同じことをした結果として、大阪では叱られたけど、東京では褒められる、そんなおかしなことが起こっていました。」

川端氏は「西浦のリスク・インフォームド・ディシジョン、すなわちリスクを知らせた上での意思決定に資する」情報開示だったが、大阪と東京では「コミュニケーションの方向性が大きく違ってしまった」と分析しています。

数理モデルによる予測をどのように扱えばよいのか不慣れだった

役所の中での専門家である医系職員を擁する担当部署で受け止めているにもかかわらず、首長の判断に至るまでのプロセスで、どこかで違う理解に至った

 数理モデルとは何であるか、もう一度思い返してみましょう。

4月7日、緊急事態宣言が発出されます。

この時、1か月で宣言を解除するには人との接触を「極力8割削減」と提示されました。この8割を強く提案したのが西浦氏。彼はこう感じたそうです。「「最低7割、極力8割」は数理モデルが政府の政策目標を決めるという点で採用された、歴史的なこと」。

そして4月15日、厚労省詰めの記者との意見交換会の席で「対策を全くとらなければ、国内で約85万人が重症化し、その半分が死亡する恐れがある」と発言するのです。

「かねてから語るべきだと思っていた被害想定」でしたが「実は42万人という数字は、僕の口からは言っていない」。厚労省の医務技監から直接言わないよう注意されていました。

これは記者の記事から広まったと想像できます。85の半分だから42だろうと。安易な感じです。情報の”質”が問われます。

本書が出版された時も”42万人死亡説”で西浦氏を批判する声は根強いといいます。また「予想が外れた」とする声も。

川端氏はこのおかしな動きにこう反論します。

問題はむしろ「最悪の被害想定」を共有するという発想そのものが理解されなかった

また実際に亡くなった人が少なかったことは、

むしろ対策の成功として喜ぶべきことであって、「外れた」こと自体を非難するようなものではない

「外れた」と判断するのは、かなりの楽観論だ。流行が終息して「外れてよかったね」と胸をなでおろすことができるのは、ずっと先なのである。 

 今の状況をみれば、鋭く言い当てているのが分かります。

いちばんやるせないのは、政治家との距離感だと思います。西浦氏は再三「政府の意思があたかも専門家の言ったことであるかのように」と嘆いています。

例えば「〔専門家会議の公式〕文書をまとめる段階で、行政の意向が入り込んでくる。専門家の側は、必死に距離を取ろうとしているのに……。」

専門家が政策に口を出すのは”越権行為”になるので慎まなくてはならないのが分かるので、これはおかしいと思います。文書に行政の意向なんて、読んでて”検閲”されているみたいに感じました。

緊急事態宣言解除後はGoToトラベルとか「次第次第に経済重視に傾くことになり」ます。西浦氏はもちろん、コロナ対策で打撃を受ける人々がいるのは分かっていますから、経済政策の重要性も考えます。が、

「本当に大事な経済重視の政策は(略)突如として政府側から提示されます。これはとても卑怯な霞が関の方法(略)議論しなければならない鍵となる話は(略)「時間切れ」になってなにもできない」

私はふと、科学者の個人的なSNSの”つぶやき”のほうが、信頼できる重要な情報じゃないかと思ってしましました。

西浦氏は熱血漢のある人だから、なおさらコミュニケーション上の困難さを抱えることになったと感じます。しかしそんな彼を支えている人々も多いことが分かります。

その中の1人をここでご紹介したいです。いまは専門家会議の後継といえる分科会の会長である尾身茂氏です。西浦氏がわざわざ1項を設けて尾身氏のことを語っています。

「僕にしてみると理想のボスですね。とにかく突破力がすごい」

”交渉の達人”のようです。「僕の願いをのらりくらりとかなえてくれるような役割を(略)果たしてくださっています。」

テレビの会見などのイメージとは違って「必要な時には、怒鳴り声をあげて、皆をいさめつつ鼓舞できるような指揮官」だそうです。ある時はテーブルをたたいて目に涙を浮かべ「責任は俺がとる」とおっしゃったそうです。

ちなみに”アベノマスク”ありましたよね。それを知った尾身氏は当時の担当大臣に詰め寄って”あんなものに資金を投入するなんて”と大変な剣幕で怒ったそうです。すると大臣は「すみません」と小さくなった。

西浦氏は困難があっても、尾身氏をはじめとするさまざまな人(データ入力を手伝ってくれた人など)がいたからやってこれたと感じていると思います。

熱血漢と書きましたがご本人は「人間として誠実であること」を考え続けたといいます。そのことの「共有が本書の目論見」なのです。