ブックメニュー★「本」日の献立

今日はどんな本をいただきましょうか?

【人は感情によって進化した】石川幹人

f:id:kiuel:20210808110033j:plain

感情(特に怒り)の取り扱いについての悩みを解消するためのハウツー本が、多く出版されていますね。

私自身、怒りっぽいと感じていて(とにかく、怒るとエネルギーを使って疲れるから何とかしたいです😪)、何冊かアンガーマネジメントを読んでみました。

そこで得たことは、怒りは生きるのに必要な感情だということ。

ということは、この悩みって怒りが現代社会とかみ合っていないことで生まれてるんじゃないか……?と浮かんできたのです。

【人は感情によって進化した】というタイトルを見て、そのヒントになるものがあるんじゃないかと感じました。「進化」ということは、感情が生まれた頃のことが書かれているはずだし。

そこで本書では怒りと、これも関連書籍が多く出版されている悲しみについて、取り上げてみます。

 石川さんは進化心理学に基づいて本書を書かれています。

「人間の感情には、文化や教育によって身につく部分もありますが、その多くの部分は、生まれながらに身についているのです。」

生まれながらに身についている……これが「感情によって進化した」ことの根拠なんでしょう。生まれながらの感情は、進化によってもたらされた、と。

感情は、かなり動物的で身体に密着した心の働き

つまり”サル”だった時代からすでに存在していたのです。確かに、他の動物にも人間っぽい感情があるんじゃないか、と思うことがありますね。

石川さんは感情を2つの心の働きとして分けています。

1つはサルとの共通の祖先が暮らしていたところにちなんで「ジャングル由来」と、祖先が分化して出て行った場所「草原由来」の心を合わせて「野性の心」。

もう1つは野性の心に、さまざまな働きを柔軟に組み合わせたり発展させたりすることで、文明社会で利用できるようにした「文明の心」です。こちらは理性という意識的な部分、ということもできます。

そもそも脳の構造も、内部の中心に「野性の心」をつかさどる部分があって、その周りを「文明の心」をつかさどる部分が覆っています。だんだんと発達してきた過程が想像できます。

じゃ、感情についての悩みはなぜ起こるのか?簡単に言っちゃうと、

短期間では、進化は十分に進まない〔退化するのは早いんですが〕(略)つまり私たちは、狩猟採集社会にふさわしい感情を身につけたまま、文明社会に生きている

人類がサルと分かれてから600万年ほど。600万年なんて生命の歴史から見てもたいした永さじゃないですね。どうやら「野性の心」を理解しないことには、例えばなぜ怒りに振り回されるのかが理解できないようです。

怒りの役割

狩猟採集社会は集団といっても、10人か20人かくらいだったようです。その小集団で「怒り」は上下関係を形成するために身についたといいます。ちなみにチンパンジーは「人間よりも好戦的でよく怒っている」そうです。

つまりサルの祖先と共通だったころからある「ジャングル由来の野生の心」です。”歴史ある感情”なんですよ。

石川さんによれば問題は「怒りや憤り、うらみやねたみが、社会的な問題になりやすいので、それを未然に防ぐ方法として、感情否定論が強調された」といいます。社会的、つまり文明にとっては相いれないものに(怒りの)感情がなってしまったのです。

でも、これがさらなる問題、悩みや苦しみとなって表面化していると思います。パラドクスです。そりゃそうでしょう、感情はまだ狩猟採集時代のままで”ズレ・矛盾”が起こっているんですから。

現代は小集団から大集団へ、また1つの集団だけではなく複数の異なる集団に属することが当たり前になって、ある集団では通用したことがよそではそうならない、ということもあります。

そう、いうまでもなく狩猟採集社会とは全然変わってしまっています。でも感情は進化していない……。

そもそも怒りは「社会のルールを守らない奴がいれば、糾弾して守らせる」のに大きな役割を果たしてきました。

しかし現代は例えば法律がその役割を果たし「感情」の出る幕はなくなっています(今ハムラビ法典とか出してきたら、みんな驚くでしょう😲)。

怒りは一連の流れを経ることで集団の安定を図ってきました。

「怒り・威嚇→意気消沈」という心理的対応が生まれたことで、「権利を守る」という社会制度の確立に、人類の祖先が大きな一歩を踏み出した

ここではもう1つの感情「罪悪感」が大きな作用を持ちます。 

この”悪かったな……”という感情は、意気消沈から発展しました。著者は「固有の感情」といっていますが、飼い犬とか主人にこっぴどく叱られている時などシュンとして”意気消沈”してるみたいに見えることもありますが、あれはどうなんでしょう?

この罪悪感が「謝罪」へ、そしてされた方が「ゆるす」という構図を生み、その結果「 権利の調整が進み、人間集団での協力が飛躍的に拡大した」。

「権利の調整」のために怒った方が上位へ、謝罪した方が下位へゆく「上下関係の形成」へと発展したのでしょう。怒られた方は何をやらかしたかといえば、権利の侵害という掟やぶりです。小集団の中でも、”個人の権利”は意識されていたのでしょうか?権利はやっぱり集団としての存続の意味のほうが大きかったと思いますし、それが個人の権利にもつながったでしょう。小集団の強みですね。

悲しみの役割

怒りも何かに対する反応ですが、悲しみも「他者との関係が中心」です。

もちろんこれもその環境(集団のなか)で生きのびるために発達したのです。

「社会的な感情」狩猟採集時代の協力集団の中で生まれたので「草原由来の感情」といえます。

 怒りはときに戦いを生みますが、悲しみは共感を呼びます(悲しみについての本も多数出版されていますが、それは「共感」されやすい感情と関係があるんでしょうか)。

これはこの感情の性質である「問題状態から脱する行動をうながす」ことに有利に働きます。

協力集団では、悲しみの共感によって助け合いが生じる

 例えば被災地へ赴くボランティアの感情は、ある種共感もあるんじゃないかと思われます。「自分も被災したことがあるから、その大変さが分かる」とか。

悲しみは他者へ向けると現代でも「草原由来の感情」として正しく機能できるようです。

 

否定的な感情としては他に「嫉妬と後悔」なども取り上げられていますが、「愛情と友情」「楽しさと笑い」など肯定的なものも取り上げられています。これらも合わせて総合的に感情と進化についての基本的なことが分かるようになっています。

いづれにしても感情は他者の集まりである「集団」によって発達してきたのです。