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今日はどんな本をいただきましょうか?

【新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実】峰 宗太郎 山中浩之 

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内海先生の著作が衝撃だったんで、ワクチンについてもっとよく知りたいと思いました。

 衝撃な内容は、良い悪いによらず時に偏りを生むものです。

物事の検証に偏見を持たないようにするには、やっぱり多くの情報を得ることです。それも、反対の立場や違った角度からの見方をしている、とか。

【新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実】は、完全な真逆という立場でもなく、同調するでもなくてほどよい内容だと感じました。

書名の「不都合な真実」は、ちょっと”無理やり感”が否めません(どこかで聞いたことある。本を売るため?😒)。都合が悪いというより、知っておいた方がいい、大事な内容ですよという感じ。

予想外だったのが、第8章と9章に書かれていた内容。峰先生は「おわりに」に「私が最も訴えたいことは、最終章の内容と、それに続く考え方です」と書かれています。そのなかで”衝撃的”な発言をされています。

本書でよくわかったのが一般人と専門家のズレです。例えばワクチンが”効く”という言葉一つとっても、一般人と専門家は違う受けとり方をしている、とか。効果には「感染の予防と症状の悪化を抑える両方がある。効く、といってもやっぱり一口には言えない」。さらに言えばワクチンの有効性と安全性はイコールではないのです。

 

 本書は日経編集者の山中氏とのインタビュー形式。”素人”の山中氏が専門家の峰先生に質問をしていますが、そのやり取りを通じても”ズレ”が浮かび上がってきます(そのズレが、一般人には重要なんですが)。

先生の専門はウイルス免疫学。「この研究分野に非常に近い分野というのがワクチン」。ウイルスと免疫、両方にまたがって研究されているということでしょうが、それぞれの専門家には、本格的な研究者じゃない、と言われているそうです。

先生自身も「バリバリのウイルスの研究者」ではないとおっしゃっています。でもワクチン製造について分かると、両方の分野に係わるわけです。「そういうことをやっている研究室というのはだいたいワクチンの開発をしています」。

新型コロナに対するワクチンは、新技術が使われているのは周知の通りですが、先生によると、すでに進められていた遺伝子レベルの病気の治療から始まった技術だそうです。なんか、コロナのための技術かと勘違いしてました(まったくズレてる😖)。

 紆余曲折を経て「「ウイルスの成分のタンパク質を『ヒトの身体のなかで』作らせてもいいんじゃないか」という発想が現れた」。

ヒトの細胞の中にウイルスの成分(ウイルス本体(の一部)じゃありません)を組み込んで(山中さんは、ウイルスが感染するメカニズムと同じやり方と指摘しています)、免疫系を刺激するのです。

ただし、どこの細胞に”感染”するのかはわからない。先生「知りませんというのは正確には研究者も分かっていないことがあり、また1種類の細胞とは限らないからです」。

ワクチンと免疫について、ちょっと気に留めておきたいことは自然感染で付いた免疫とワクチンで付いた免疫です。

 自然のほうが雰囲気的にもちそう、と思っちゃうんですが、そんな単純なものでもなさそうです。病気の種類によってはワクチンでの免疫も一生続くものもあり、インフルエンザのは数か月で消えます。

「ワクチンで付いた免疫が持つ、持たないという話はクリアに分けた方がいいです」。ここもズレてるところでしょう。

そのうえで先生は新技術のワクチンに「楽観的」な立場です。「効果が実証されつつある」データによって「ヒトの体においても免疫がちゃんと反応することが分かりました」。

先生はコロナじゃないけどワクチン開発に係わる人だから?でも気になる発言が「安全性も効果もこれからだ、ということです。はっきり言えばこれは新規の大規模な社会的人体実験です」。

人体実験、とは敢えて誤解を恐れずおっしゃったと思いますが(これも一般人との感覚のズレ?)、さらに「社会がそれを求めているのだから」。

日本が、ということでしょうか?先生は出版当時、アメリカに在住されていて「米国にいると、一部からのワクチンへの社会的要請をものすごく強く感じます」と言われています。一部とは何でしょう?

私はとても疑問に思っています。もしそれが本当だとしたら、なぜそうなったのでしょう?

日本はそもそもゼロリスク志向と山中さんは言います。峰先生も「先進国の中では最もワクチンに対する不信感が強い国」と指摘。ワクチンに何か問題が発生した場合「失望が引き起こす反動は間違いなくものすごいことになります」と再三言っています。

それが「慎重派」だったはずのワクチン学者も推進派みたいになっちゃっている。先生は「特にワクチン研究者は前のめりになってはいけない」「「本当にこの雰囲気はまずい」と思っています」。

どこの「社会が求めている」とははっきり出てきませんが、これは考えなければいけないことと思います。

ワクチンで怖いのは副反応(山中さんが「副作用」と言ったのを先生はわざわざ「副反応」と訂正されています)ですが、素人考えではこれと”実験”をどうしても天秤にかけてしまいます。

細胞に働きかけるので「長期的予後」も考えなければならない。「10年後に起こるような副反応」があるかもしれない。遺伝子レベルの反応というと、放射性物質の影響を連想します。はたして、これは”考え過ぎ”でしょうか?

山中さんは言います「どれくらいワクチン接種に踏み込むべきなのか」。私たちそれぞれが考えなくてはならない一番のことです。

 

ここからは、峰先生が本当に言いたかったこと。テーマとされていることは情報・メディアのリテラシーの問題。

どうやって情報を集めるか、どういうふうに情報を吟味するか、どのように咀嚼するか、最終的にはどういう自分の行動につなげていくか。 

 これを深く考えていれば、変に振り回されることはないはずです。どんな事柄でも。

「どういうふうに情報を選び取るか」の壁となってくるものに、山中さんは例えば「一番最近読んだ本、一番最近聞いた話に、自分の考えを上書きされまくる」と言っています。鋭い!

”新しい”ことは何となく、”正しい”と思いがちです(図星です)。何度も言われていることは”それ、もう聞いたよ”みたいに無意識に削除しがちになってしまう。

先生は医療など科学の分野は、専門家のいうことを簡単に信じすぎる、と指摘します。また「『絶対正しい』ものを探そうとするのが一番危ない」、”正しい情報”だけを得ようとすると「権威主義・属人主義」にかたよる危険性がある。

白か黒か、の「過度の分かりやすさ」を要求される報道なども「害が多い」とします。答えをすぐ得ようとする姿勢は、ネットの影響でしょうか?検索してパッと”答え”がわかるという……。

いろいろな情報に対して、

結局、個々人の「しなやかさと、強さ」(の思考)が必要なんですよ、手に入れてもらいたいのはこれなんです。

大事なのは「知識」じゃなく「考え方」。

先生は医療系の一般書はまともな本がない、と笑っちゃうくらい嘆いています。そして、科学者がやっていることは必ずしも「正しい」わけじゃない、彼らを「神聖視」するのは間違いだと言い切ります。その人というより「今」の話の整合性や合理性に注目しろと言います。

仮に「しなやかさ」を持ったとして、先生の以下の言葉はどう聞こえるでしょうか。

 峰が正しいか、別のなんとか先生が正しいか、などということは、はっきり言えばどうでもいいんです。

この本を読み終わったときに、峰とYさん(山中さんのこと)が話していたということさえ忘れていただいて、話者じゃなくて「話そのもの」、という視点で情報を探してみよう、検討してみよう、正しいと考えていたことをもう一度見直してみよう

「私、峰を信じてもダメなのです」。「彼ら」だけでなく 自分の言うことも”丸呑み”するな、と先生は言っています。これを”逃げ”と見るか、”潔さ”と見るかは人それぞれと思いますが、問題は、何も考えずに「上書き」されてしまうことです。

「確実」「絶対」な情報は、公的情報を含めてない。「詐欺師は必ず真実を混ぜて嘘をつく」。このあたりは内海先生の言っていることと共通すると思いました。

コロナの現状で「情報」の価値がこれほど問われるとは思ってもみなかったことですが、実はずっと問題だったことが、やっと表に出てきたのです。接している情報を問う力が試されています。